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England [フランス便り]

先週は,友人がいるManchesterと,そこから
世界初の鉄道が開通した都市Liverpoolに行ってきました.

Manchesterには,大学の時の後輩?おーにしくん
がいて,彼はParisにも何度か遊びに来てくれたので,
そのお礼と,産業革命(簡単に言えば「近代」)が始まった
都市というのを是非見たかったので,急な予定でしたが,
ひとっ飛びで行ける距離なので,無理して行ってきました.

ParisからManchesterまでは,離陸してから着陸するまでは
1時間かかっていません.それぞれ,都市から空港へは
Parisでは40分,Manchesterでは20分程度,
一応国外なので,入国審査等が厳しいですが,3時間あれば
完全に異国の地です.

フランスに来てから,鉄道の移動が多かった
(実際,6月にLondonに行った時もユーロスター)
ので,飛行機は新鮮です.
その飛行機に乗ったからかもしれませんが,
今年に入ってからめまぐるしく,フランス国外へでかけて
いるのですが,そういう国々とは違った印象を受けました.

■Manchester
マンチェスター・ピカデリー駅につくなり
おーにしくんが「この街は三角形をしている」
と教えてくれたので,すんなりとまち歩きを始めることが
できました.各頂点にはかつては鉄道駅が配され,中心部には
シティ・ホールや各種庁舎,そして教会があります.

中心市街地を囲む三角形の各辺は鉄道が形成しているのですが,
その下地にうっすらと運河の姿が認められます.
そう,このManchesterも運河都市なのです.
世界発の鉄道がこの街とLiverpool に敷設されたのも,
運河によって国際的貿易港リヴァプールと羊毛産業の中心地,
そして当時世界的金融の中心地であったマンチェスターを
結ぶために,運河よりもより迅速に物資や人を運ぶために
鉄路が必要とされたのでした.

市内では,かつて世界でも指折りの金融都市,そして
産業革命発祥の地として得た富と名声の「なごり」を
随所に感じ取ることができました.

かつてLiverpoolとManchesterを結んだ西端の駅から
現在Londonとの接続点になっている東橋のピカデリー駅
との間には,現在も運河が埋め立てられずに残っています.
その沿川には,煉瓦造のWarehouseや商館が立ち並び
まさに「産業革命発祥の地」でした.
 
man1.JPG
再開発の波は,ここManchesterでも深刻なようです.
英国のリノベーションはレベルが高いと思っていましたが,
それも場所によるようです.

もう一つ,マンチェスターのまちはまちで面白かったのですが,
もっとすごかったのは,町外れにあったこのMOSI
(Museum of Science and Industry)でした.
 
man2.JPG
 
計3時間いましたが,まだまだ見足らない感じでした.
現に一部回収中だったので,是非また訪れてみたいです.
特に,興味深かったのは,幼稚園ぐらいの子供から中学生ぐらいまで
いくつかのグループが先生に引率されて社会見学?に来ていた様子
でした.本物を見て勉強する,ということの重大さを意識しました.
アーカイブや文献の所蔵具合,また学習室や子供のためのレクチャー
施設なども,日本と比較になりません.おそらくフランスもここまでは
充実してないような気がしました.

次のLiverpoolも含めて,都市や技術の歴史に対する姿勢の
こういった雰囲気が,英国の気質かなぁと思いました.
フランスが地域を基本単位にしているのに対して,
英国では「国を挙げて」という気概のようなものを感じました.

■Liverpool
リヴァプールと言えば,Beatlesなのでしょうが,
今回はあまりそっちの方を勉強して行けなかったので,
思う存分楽しむことはできませんでした.

Liverpoolを訪れたのは,世界初の鉄道の路線に乗って
港に行きたかったのと,その港が商港として世界遺産に
なっているので,それを確かめに行くため,でした.

ManchesterからLiverpoolは,1時間に4,5本列車が走っており,
所用時間は約40分,雰囲気は京都-大阪間です.
大阪は東洋のマンチェスターと呼ばれた時代があったので,
この例えは非現実的ですが,Manchester>Liverpoolへの旅は,
大阪>神戸を思い出させました.
現実には,大阪>神戸は,阪急,JR,阪神どれを使っても
20分程度で三宮まで着いてしまうので,路線的には違うのですが,
都市の雰囲気と港町らしさ,という点で,上記のような例えを
思いつきました.

リヴァプールは,駅からしてとても洗練された文化を持った
港町だと思いました.到着したLime Street Stationでは
大架構が,街の雰囲気を引き込んだような明るい駅舎を演出していました.
(余談ですが,Limeがいろんな意味を持っていることを初めて知りました)

世界遺産は,商港として発展した都市の経緯を残す6ヶ所のエリアで
構成されています.その中で僕が一番港町らしさを感じたのは,
このAlbert Dockです.
liv2.JPG
 
世界遺産として写真映えするのは,次の3建築です.
The Three Grace (1901-1916)
18世紀,19世紀の国際貿易をリードした港湾関係建築物
(Royal Liver Dock, Cunard Building and Dock Office)
liv1.JPG
 
しかし,港町を支えてきたという存在感では,
やっぱりAlbert Dockの水面が一番だと思います.
横浜や門司を思い出しましたが,規模や保全状態が全く違います.
使われ続けてきた水辺の力が漲っています.

かつてのWarehouseは,Tate美術館になったり海事博物館になったり
していますが,内水面は今でもツアーなどの船が出入りしており,
ちゃんと河岸としての機能を果たしています.

今回,思いがけず,
内陸河港都市と沿岸港湾都市という欧州の典型的な
2都市を比較して見ることができました.
フランスにも,例えば
Rouen>Le Havre
Nantes>St.Nazare
などの都市関係(内港>外港)が見られます.
その水辺の保全も含めて,興味深い街々です.

二度目のLe Puy en Velay [フランス便り]

2月3日,そう節分の日から二泊三日で,
Auvergneの南端,Haute-Loire州の
Le Puy en Velayへ行ってきました.

Le Puyへは,11月の24-26日にも行っているので
二度目です.Auvergneとして考えると三度目となります.
今回も,友人のしりるさんにくっついて,Siteの領域
見直し計画のWSに参加してきました.
そして,しりるさんの協力を得て,
フランスにて初ヒアリング調査も行ってきました.

結果から言うと,ヒアリング調査は,とても
うまくいきました.しかし,全調査の行程は
SNCFにしてやられました.

3日,行きは「Social Movement」(いわゆるストです)
により,11h16にLe Puyに着くはずが,着いたのは
18h25と,何時間の遅延か考えるのも嫌になるぐらいでした.

しかし,フランスに来て9ヶ月,もうこんなことでは
驚きません.HONDAくんに薦められた玉村さんの
『パリのカフェをつくった人々』を完読しました.
しかも,内容はParisCafeの多くはAuvergne人の
コミュニティで経営されている,という神話にも似た話.
実際,Auvergneに二度訪れて,歩いて,見て,聞いて
していると納得できるものがありました.

5日,帰りは帰りで,列車が故障し1時間弱
よけいに列車の中で過ごすことができました.
本は読み尽くしたので,今度はヒアリング成果の
速記録を完成.フランスの列車の中は,非常に快適.

SNCFにしてやられましたが,転んでもただでは起きません.


今回も,二日目は朝一番にCafeでヒアリングした後,
Le Puyの郊外を縦走です.
前回があるので,もう今回は驚きません.
「あー,あそこに見えているピークまで登るのね」
「そこでサンドイッチ,あーピクニックね.うぃ」
「その後,隣のCommuneまで歩いて,戻ってくる.だっこー」
 
puy1.JPG
延々,パーティの人たちと歩きながら,
先ほどのヒアリングの言葉が頭をよぎる.
「僕たちの仕事は,地図の中の赤い線をみんなと共有すること」
「みんなの違う地図を,一枚の地図にして,リアリティを得ること」
「Siteはただの線じゃない,法に守られた現実の場所なんだ」
「そこには,風景がある」

とにかく,どんどん話しかける.
「それは,何?」
「あれは,誰がつくったのか?」
「これは,誰が決めたのか?」
フランスでも,日本でも,変わらないこともあるし,
全く違うこともある.

歩いて歩いて,そして,彼らは地図に帰ってくる.
一日の最後も,またCafeで議論.
足跡を地図に落とし,みんなで方向性を確認.

夜,反芻してみる.
「今日の発見3つ」

追伸:
5日には,雨の中でしたが,待望のLe Puy市内観光をしました.
いままで,ほとんど街の中を歩いていなかったので,
シュマン・デゥ・コンポステラの起点の一つともなっている
この街のあちこちを見て回りました.
そして,とうとうノートルダム像へ登った後に,
これを見つけました.
puy2.JPG
 
二つ目です.
歴史と地理と風景の先輩たちの足跡.

Suisse [フランス便り]

1月25日から28日まで,3泊4日でスイスに行ってきました.
熊本時代から何度も調査に出かけたHONDAくんと木橋,文化財調査です.

調べて,とても勉強になりましたが,スイスは
英語表記ではSwiss Confederationですが,
実際公用語は,ドイツ語,フランス語,イタリア語,ロマンシュ語で,
略称でよく用いられるCHは,ラテン語名「Confoederatio Helvetica 」の
略だそうです.ちなみに,漢字では「瑞西」の標記.
仏語が,Suisseです.

Gare de l’EstからTGVで4時間半,スイスはZürichに到着です.
何度乗っても,国境を越えていくTGVには感動します.
しかも,パスポートコントロールもなく,EUというのは国の概念を
変える大変革だと思います.レンタカーで3泊とも別の場所です.


以下,スイス3都市物語.

■Luzern(ルツェルン)
Kapellbrücke(カペル橋)とSpreuerbrücke(シュプロイヤー橋)という
Reuss(ロイス川)に架かる木橋2本を見に行きました.
両橋とも,旧市街と新市街を隔てるロイス川に架かっていますが,
カペル橋は特に,城壁の一部として水面に建造された防御ラインとして機能
していた経緯を持ち,文化財級の格付けの名物橋です.

しかし,このカペル橋,1993年川を行き交う舟からの煙草の不始末で失火,
橋の9割が失われるという大失態.(現在は復元されています)
当たり前のことですが,今回スイスで見た木橋には全て「火気厳禁」の
サインが貼り付けられていました.

そんなルツェルンで一番,僕の興味を惹いたのは,
Luzern Bahnhof(ルツェルン駅)を出て丁度正面(旧駅舎の門のみ現存)
にあった,湖岸の港でした.駅の脇にはジャン・ヌーベルの市立美術館もあり,
こちらはこちらで,現代の港があるのですが,
僕のお気に入りは,このいかにも近代然とした港です.

swiss1.JPG
小雪がちらつく(ちなみに,氷点下6度の極寒)でしたが,
思わず船に乗りたくなったのは言うまでもありません.
(この直後,諸事情によりブーツ購入)

市役所の方の話では,対岸はかつて湖だった場所が,
ホテルの林立により埋め立てられ,現在はそういうハーバーに
なっているそうです.しかし,水辺としては断然こちらの方がいい.
だって,駅についたら正面が港なんですもの(熊本のどっかと一緒).
無人のチケット売り場で,湖を囲む緑豊かな山々と遊覧船のルートを
書き記した地図を入手し,ほくほく顔の僕.

■Bern(ベルン)
1983年に旧市街が世界遺産登録されたスイスの首都です.
東南北の三方をAare(アーレ川)に囲まれた旧市街地は高台にあり,
いたる所に水飲み場が設置されていました.
かつては,木造都市だったそうですが,1405年の大火後建築が石造となり,
二度の戦火も免れ,中世の町並みが残っているそうです.

ベルンのメインストリートは,中央駅からまっすぐ東に延びています.
ちょうど,旧市街地のある高台の背骨のように.
この通り,駅周辺ではシュピタル通り,東の方に進むとマルクト通り
そして,旧市街地の西端に位置したと言われる時計塔を過ぎると
クラム通り(Kramgasse)さらにゲレヒティクカイト通りと名を変え,
アーレ川を渡るNydeggbrücke(ニューデック橋)に至ります.
通りの両側に延々と石造の重厚なアーケードが続きます.

swiss2.JPG
これは,ニューデック橋の東端,旧市街地を対岸から見た風景です.
塔は,19世紀末に増築されたMünster(大聖堂)の尖塔で,スイス最大の
ものだそうです.この塔のちょっと右辺りから手前右の橋にかけて
先のメインストリートが延びているのですが,この通りにもいくつもの
水飲み場が設けてあります.

写真手前が,アーレ川で画面右に流れています.
川縁に市外の建物(木造も多い)が建ち並び,橋を渡った旧市街地と
二層の都市を構成しています.
旧市街地の南側では,アーレ川に巨大な取水堰がありましたが,
旧市街地の水ははるか上流から運ばれているような気がします.
(勉強不足なので,次に行くときはちゃんと調べて行かなくては)

古くからの街なので水は豊富なはずです.
どの辺りに取水口があるのだろうか?
大火と建築の更新,都市域の拡大などなど興味深いテーマが
尽きないこの街には,また訪れなければなりません.
「ベルンの朝」のリベンジのためにも...

■ZÜrich(チューリッヒ)
チューリッヒは,ドイツに近いスイスの東の玄関口です.
しかし,フランスからTGVに乗ると,国境近くのBasel(バーゼル)の
次はチューリッヒ,なんとなく違和感があります.近いような,遠いような.

そういえば,スイスはかなりドイツでした.
バーゼルはBâle(バール)とフランス語表記もあるのに,
チューリッヒはZürichのみ.
街でも,聞こえてくるのはほぼドイツ語ばかり.
ドイツ語で話しかけられ,だめと分かるとすぐ英語となりました.
HONDAくんが,がんがん話かけるので,負けじと頑張りました.

Zurich Hauptbahnhof(HB)チューリッヒ中央駅は大きな駅で
国際空港へも,鉄道(SBB)で約10分とたいへん便利です.
チューリッヒ大学やスイス連邦工科大学もあり,国際的学都とも
いえるのでしょうか.

まちは,Zurich See(チューリッヒ)から流れ出すLimmat(リマト川),
運河と山々から流れ出す小河川が水網をつくる水都のイメージ
でした.関西人の僕としては,大きな瀬田(琵琶湖岸)のイメージ.
ルツェルン,チューリッヒ,(おそらくジュネーブも)湖の水が流れ出す
場所に立地している都市は似ているのではないかしら?

swiss3.JPG
Rathausbrückeの上にある旧市庁舎,
Münsterbrückeの左右岸には教会,聖堂などが建ち並び,
リマト川を軸線とした都市の焦点です.
中村先生から習った特性景という言葉を思い出しました.
多様な都市軸の交点.見る-見られる関係の焦点.

郊外は工業都市の様相でしたが,
リマト川以外も,運河や小河川など,湖岸を感じる場所が
随所に見られました.きっと,夏に行けば,もっと周辺から
街を見ることができ,確信を持てるのでしょう.
確かに,豊かな水辺の街でした.


今回は,いずれの街も2時間程度の短い滞在でした.
何かが分かったという訳ではないけれど,スイスという国で
いろんなものを見て,少しの人たちと会話して,
美味しい食べ物を食べて,いろんなことを考えたことは,
何かしらの役に立つと思います.
そして,HONDAくんと語り合った様々なことは,これからの僕の10年にとって
とても重要な意味を持つような気がしています.ありがとう.

Provins [フランス便り]

中世市場都市として世界遺産に認定された
Provins(プロバン)に行ってきました.

ParisはGare de l’Estから鉄道で約90分,
途中列車からの眺めは,郊外の田園風景そのもので,
終点に近づくにつれ,ぽつぽつと教会を中心とした
集落が現れ,心地良い列車の旅でした.

「Parisから行ける世界遺産小旅行」的な調査
だったので,あまり下調べもせず,小さな
ガイドブックの地図だけを頼りにまち歩きです.
駅に着くと,目の前に小川越しに煉瓦造の古い邸宅が並び,
直感的にああこの街はいいかも,と思った.

小川を辿るように市街地を彷徨い始めると
水路網が形成され,これに沿って比較的古い町並みが
形成されていること,そして趣きがあることが知れた.
provins1.JPG

歩き始めると5分もせずに,
高台に教会らしきものが見えてきた.
丘陵上の旧市街地が世界遺産指定という感じかと思い,
階段を上って一気に丘の上に.

街の中心と言われているセザール塔を見つけ,
立ち寄るも14-17時のオープンという.
ま,この季節ならば仕方がないか.
Office de Tourismを探す.

Infoのある方へ歩いて行くと,城門が現れ,続いて
城壁が確認できた.城外へ出て「あーなるほど世界遺産」と思う.
観光案内所は立派なもので,季節が良ければ相当な人が来るんだろうなぁ
という印象を受けた.地図(日本語もあり)やその他のガイドも充実していた.

地図を手に,城壁を見て回る.朽ち果てた部分もあり,
活用,保全について考える.丘陵部と低地部の両方を
歩いて,当地の地形が分かり始める.
旧市街地の中心部でランチ.2時にはセザール塔へ.
塔からの眺めは素晴らしかったが,そこそこに丘を降りた.

やっぱり,水路が気になる.
最初に見た小川やそれに沿って建っていた建築や道も,
何かを期待させるものだった.実際,中世Provinsの繁栄は,
毛織物産業などを支えたこの水がもたらしたものだと,
地図にも書いてあった.

城壁の堀と市内の水路網.名を持つ川は二つ.
町外れでは豊かなフランスの郊外を思わせるが,
中心部ではかつての活気溢れる都市の賑わいを彷彿させる.
印象としては,日本の水辺より一段(家屋の半階分ぐらい)低い.
橋の上から流軸方向に眺めると,断面図的にその違いが分かる.
provins2.JPG

郡上八幡や柳川など,水辺に降りていく感じで階段や共同洗い場などが
しつらえられているが,Provinsを含め欧州の水辺では水面ぎりぎりか
もしくは多少引き込んで,半屋内といった感じの場所を洗い場としている.
場所は違えど,その場所で感じられる水と生活との「親密さ」,
しつらえられた空間とその場所での生活を支える文化,技術の豊かさは
共通している.

世界遺産と水路網.
あちこちで見かける構図だ.予想していなかった訳ではなかったが,
ここProvinsでも.いや,予想外の収穫だったか.
最近,「何が世界遺産で,どう保全」みたいな流れに,ちょっと
しんどいな,と思い始めていたので,考え直すよい材料になった.
遺跡ではないのだし,そこに生活はある.

まちを歩いていて,多くの子供達に出会った.
わーわー,きゃーきゃー,楽しそうに大勢で騒いだり,
仲良く下校している二人など,いろいろだ.
平日の昼間だから当たり前なのだ.
でも,こんな風に当たり前に世界遺産に住んでいることが
一番大切なんじゃないかな,と思った.

Belgium [フランス便り]

1月12日から二泊三日で,ベルギーの3都市,
Brussel,Antwerpen,Bruggeを訪れました.
フランス語で書くと,Bruxelles,Anvers,Brugesです.
ブリュッセルは国連施設が集中するベルギーの首都,
アントワープ(英語表記:Antwerp)は16世紀北西欧州最大の商業都市,
ブルージュはフラマン語(オランダ語)で「橋」を表すブルッヘという街の名前が表す通り,
北のヴェネチアと呼ばれる,美しい運河の街です.

しかし,今ベルギーも大寒波で,移動中の車窓は一面真っ白の雪景色,
終日,おそらく氷点下と思われる気候のなか,せっせと街歩きしてきました.

Paris Gare du Nordから真っ赤なタリスに乗って,約80分で
Bruxelles Midi南駅着です.そこから,またベルギー国鉄に乗って,
約45分でBrugge到着.


■Brugge
駅前は,広大な駐輪場.Bruggeの人はこんな雪の積もった中でも
みな自転車で駅まで来るようです.
ガイドブックにもありましたが,Bruggeの街は,徒歩で堀に囲まれた
旧都城内は見て回ることができました.ただし,寒さは堪えます.

ベルギーはフランス語圏と聞いていたので,フランス語を試してみましたが,
敢えなく敗退,英語が通じます.助かった.
街は,雪のせいもありますが,京都の祇園界隈や金沢に近い印象です.
城郭内は,真っ白な運河(全て凍っていてその上に雪が積もっていた)が
配置され,道もそんなに広くありません.

belgium1.JPG
写真は,グルーニング美術館の前の運河です.
「静謐」という言葉がBruggeにある世界遺産の一つベギン会修道院の
形容詞として使われていましたが,街全体もそんなイメージです.
夏場は,観光用のボート乗り場になっているようでしたが,
人っ子一人いません.

昼食後,街を縦断し北東の外れのダム橋というのを見に行って
(運河が凍っていて,何がダムかは不明),そのまま東の端
都城の3時の方向にある城門まで歩き,4基の風車を全部見ました.
オランダでも数基見ましたが,ここのは近年復元されたものだそうです.
とにかく歩き回ったので,ベルギーの古都,しかもかつては舟運によって
繁栄していた街の大きさは感じ取れました.こんな小さな街に世界遺産が3つも.
街の中心部,Markt広場の繁栄振りは,後で述べるBruxellesのGrand Place
やAntwerpenの広場にも勝るとも劣りません.時代の推移という点で,
3つの都心広場を見比べられたことは興味深い体験でした.

■Antwerpen
アントワープには,二日目に行きました.アントウェルペンとは発音しにくいものです.
ノートルダム(アントワープ大聖堂)にある,ネロ(ご存じ,フランダースの犬の主人公)も
一目見たかったというルーベンス(1577-1640)の描いた三連祭壇画を見るつもりで訪れた
という訳ではないのですが,結果的にはネロと同じような思いをしました.
凍えるような静寂のなか,ただただルーベンスの描いたキリストを眺める,という.

Antwerpenは,Bruggeの河港が河床の堆積によって使用不能となった結果
繁栄が移ってきた河港都市であり,かつスペインとの80年戦争が始まると
その地位を,Amusterdamに奪われた,という歴史を辿ります.
ダイヤモンドの取引の中心地として栄え,16世紀中盤に最盛期を迎え,
その後,衰退という歴史を感じさせる中心市街地でした.

Antwerpen Centraal中央駅までは,Bruxellesから快速で約35分.
この中央駅がすごい.地下から地上まで,内側も外側も.
街は比較的大きく,トラムが縦横無尽(地上も地下も)に走っています.
中央駅から3駅ほどで,河港近くのGroenplaats広場まで.
ノートルダムも市役所のあるGrote Markt広場もすぐそこです.
広場には壮麗な市庁舎の他に,各種ギルドの商館が並んでいました.

しかし,アントワープで最も目を惹いたのは,世界遺産にもなっている
プランタン=モレトゥス(Plantin-Moretus)博物館(印刷博物館)でした.
正直,当地に行くまでは,訪れることを迷っていたのですが,
入ってみて大正解でした.博物館一個が世界遺産なんて,たいそうな
と思っていたのですが,納得でした.

この博物館は,「16世紀から続く印刷・出版所を完全な状態で今に伝える
世界唯一の施設である」ことが評価されて世界遺産となったそうです.
belgium2.JPG
これは,初代「王の印刷者」として活躍したクリストフ・プランタンのモットー
「精励と不動-Labore et Constantia」と黄金のコンパスを組み合わせた
オフィシリーナ・プランティニアーナ(印刷所)の商標を模した石彫です.
博物館の正面に,堂々と掲げられていました.

印刷という情報革命に携わった技術であるからこそ,約300年の歴史を
完全に今に伝える,という使命をこの博物館は担ってきたのだ,と感じました.
人の手から手へと伝わる本や印刷物自体,それを創り出す技術,それに関わる人々
博物館を巡りながら,そんなことをぐるぐる考えました.すごいなぁ,と.
ものとその場所の履歴から見える風景が,そこは確かにありました.

■Brussel
ブリュッセルは,二泊とも世界遺産であるGrand Placeのすぐ側に宿を
とったので,三日目だけ市内を巡りました.

北駅,中央駅,南駅と市内に3つも駅があり,国連施設の集積地ともなっており,
王宮はあるは,Hortaをはじめとするアールヌーヴォーの建築群の宝庫であり,
と何でもかんでもあって,少々疲れました.おまけに,年に一度の王立美術館の
「ご存じ」定休日にでくわしたり,ちょっとしたハプニングにも遭遇したりして
やっぱり首都は首都です.他の街とはちと違う.

belgium3.JPG
初日に目にした,Grand Placeの夜景ですが,これが結局一番圧倒された
Brusselの風景です.中心は「王の家」と呼ばれる市歴史博物館です.
展示は,市街地の風景や市域の拡大などを地図で表現した,面白いものでした.
図録が欲しいなぁ,と思いましたが,見あたりませんでした.
おまけとしては,ブリュッセルのマスコット「小便小僧」の着替え衣装など.

Grand Placeから王宮,そして東の方へと,なんでこんな傾斜がきついのだろう,
と思っていたのですが,博物館でジオラマを見て納得.
かつて,Grand Place周辺は川が流れ河港近くの商業地だったのですね.
最後に,運河跡などを観察.首都の首都たる由縁を確認.


ベルギー3都市巡りは,二泊三日の旅としては,十分満足のいくものでした.
3都市ともに世界遺産も充実していて,公共交通も発達し,
観光面の努力も感じられました.Belgiumという南ネーデルランドとも言える
オランダとの兄弟国のようなこの国の主要都市を見れたことは,前回
Hollandを訪ねたこともあって,欧州を知るよい勉強になりました.
もちろん,一度の探訪で何が分かったなどと大きなことは言えませんが,
都市による相違や,思ったほどフランス的ではない国民性や,
オランダやドイツとの共通点など,興味は尽きません.

そうそう最後に,ベルギーのビールは,これまたたいへん文化的で興味深い.
料理も○.ドイツとフランスの中間地点という立地の成せる技か?

二度目のLyon [フランス便り]

大晦日,元旦をParisで普通に過ごしたので,
娘の幼稚園の休みを利用して,2日から4日まで
2泊3日でLyonまで小旅行に行ってきました.

Lyonは,昨年9月に一度訪れているので,
今回は二回目です.
前回は,教え子や友達と訪れたので,アクティブに市内を
動き回りましたが,今回は家族3人のんびりと過ごした
感じです.

TGVで約2時間,あっという間にLyon Part-Dieu駅に着きます.
何度乗っても,TGVのお得感(早割のようなシステムのお陰)は
すごいなぁ,と思います.
列車はさほど混んでいる様子もなく,駅も穏やかでした.
やっぱり,正月二日だからそんなものか,と思っていました.

駅前からメトロに乗り,B>Dと乗り継いでBellecour
ベルクール広場へ.D線は無人運転なので,車両の最先端に
乗ることができ,娘は大喜びでした.
前回は,メトロ,トラム,バス,トローリーバス,ベロブと
公共交通使い倒しの旅でしたが,今回はメトロとバスだけで
済みそうです.これも,公共交通一日券が4.6ユーロなので,
比較的安価で,中心市街地を行き来できます.

初日は,Funiculaire(これも公共交通の一部)でソーヌ川の
右岸にあるFourvièreの丘(山?)に登り,Lyonの市街地を一望したり,
ノートルダムを訪れたりして過ごしました.

Lyonと言えば,美食の街として有名です.
ホテルもプレスキュル(ローヌ川とソーヌ川に挟まれた半島)内に
とったので,昼食と夕食は,思案のしどころです.
初日は,イタリアン,和食と普通に美味しく頂きましたが,
二日目からは,Lyonらしいもの,を探して食事を楽しみました.
当たり外れはありましたが,三日目の昼食を食べた
美術館のCaféは当たりでした.美術館自体の雰囲気もよく,
Caféも居心地が良さそうで,夏に来ればテラスで楽しい昼食が
できそうでした.

Lyonは二日目から猛烈に冷え込み,とうとう三日目には
ご覧のように雪になってしまったので,美術館と
Vieux-Lyon(旧市街)周辺を散策するに留まりました.

Lyon1.JPG

Lyon2.JPG

雪のLyonも,本当に美しい.

二度目のLyonということで,行きたい場所には
的確に行けるようになっていた反面,前回見たLyonとは
また違う一面にでくわし,戸惑うこともありました.
しかし,同じ街を二度訪れることは大切だなぁ,
季節も違うし,曜日や同行した人も違う,
まちは本当に生きているなぁ,と実感しました.

余談ですが,
1月3日は日曜日で,たまたまPart-Dieu駅に立ち寄ったら
すごい人でした.大きな荷物を抱えた人たちであふれかえり,
きっと帰省していたり,帰省から戻ってきたりした人たち
なんだろうという印象でした.比較的若い人たちが多かったので,
年末を実家で過ごしたのかなぁ,という感じ.
僕は,学生時代帰省というものをしなかったので,
毎年年末に現妻が帰省するのを,京都駅まで見送りに行ったのを
思い出しました.少し懐かしい感じがしました.

謹賀新年 [フランス便り]

あけましておめでとうございます

今年は,Parisにいるので,年賀状を失礼して
ここで挨拶とさせていただきます.

旧年中は,本当に多くの方々のお世話になり,
なんとか家族三人フランスでの生活をスタート
させることができました.ありがとうございました.

早いものでフランス滞在も,もう残り11週間という
ところまできました.まだまだ,やりたいことが
たくさんあり,本当に時間が足りません.

大晦日,元旦とParisの家で,普通に過ごしたのですが,
(いつもよりも,テレビをつけている時間が長かったぐらい)
とりたてて,街の雰囲気が変わることはありませんでした.
元旦は,クリスマスの当日と同じぐらいの静けさでした.

昨夜,大晦日は,11時頃に毎年のように年越しそばを
二人ですすり,少しフランスらしくシャンパンを飲んだりして,
テレビをつけてpcに向かいながら過ごしました.
ちょうど0時になった時に,テレビでカウントダウンを聞いていたら,
外からクラクションが10分ぐらいかな?なりっぱなしになって,
大きな声で「ボナネー」と叫んでいる人が何人かいました.
シャンゼリゼの方は,すごい人出だったらしいけど,よく分かりません.

異国の正月,こんな感じでした.
明日からは,2泊3日で,家族共々Lyonに行って参ります.

今年も,何卒よろしくお願い申し上げます.

Neige [フランス便り]

雪です.
とうとう,積もりました.
11月頃から,毎日のように雨が降っていたParisでは,
12月に入り,めっきり寒くなり,朝娘を幼稚園
送っていく頃はまだほの暗く,氷点下を感じるような
冷たい風が吹きすさんでいました.

17日朝,この冬二回目の小雪がちらつく中,
娘を幼稚園に送るために,最寄り駅から
3bis,3番線,9番線と乗り継ぎ,Ienaの駅で
地上に出ようとしたら,なんと猛吹雪.

娘に帽子を被せ,フードをさせて,完全防備で抱っこして
表に出ると,一面真っ白!
娘は,「こんなに真っ白な雪を見るのは初めて!」とご機嫌の様子.
クリスマスだからかなぁ」
確かに,今日は幼稚園のクリスマス会ではあるのだが,
ノー天気な娘の喜びに,僕もなんだか悪くない気分でした.

週末は,娘を連れて,La Villette公園のCitéに遊びに行きました.
ひとしきり屋内で遊んだ後,雪の積もった公園に出てみました.
 
neige1.JPG
 
夏は,大勢の人が寝ころんだり,遊んだりしている
芝生は,白銀の世界です.

一方,街はというと,Noel前の賑わいを見せ,
右岸のデパート界隈も,こんな感じ.
 
neige2.JPG
 
天気の悪さもなんのその,
ギャラリー・ラファイエット,プランタン,三越などなど,
どこも,子供向け?に趣向を凝らしたショーウィンドウを飾り付け,
大勢の人が行き交う,賑やかな風景です.

日本とは,また違う年末の風景.
面白い体験です.

仕事場 [フランス便り]

渡仏後,7ヶ月も経ってようやく,
研究所に「自由に」出入りできすようになりました!

いったい,今までどうしてたの?
とみなさん,思われるでしょう.
なんとも,情けないお話で.


研究所の僕の机に入るまでは,鍵が二つ要ります.
1)建物自体に入るドアの鍵
2)建物の4階(日本で言えば5階)の部屋に入るドアの鍵

cnam1.jpg
これが,みなさんが言うところの「バッジ」です.
1)の鍵に当たります.
職員証のようなものですが,これをドアの横にある
インターフォンの下の黒いぽっちに近づけると
「ピッ」と音がして,研究所のドアが開きます.

話せば長くなりますねぇ...

フランスの建物の入り口は,何となく日本人には(僕だけか?)
不慣れで,人がいても愛想が悪かったり,まるっきり人が
いないのに,ボタンを押せば簡単に入れたり...
全く異文化です.

2)の建物内の部屋の鍵は,
渡仏後一ヶ月ほどして,バカンスシーズンに入り始めた頃に,
あんまり僕が研究所に来るので,見かねたじらーる(助手さん)が,
「スペアキーだよ,自由に使いなさい」と渡してくれました.
こっちは,極めて簡単に解決.

そもそも,部屋の机と椅子,そして書棚に関しては,
初日に,ぎえるむ先生が「ここ自由に使っていいよ,そしてこの書棚も」
と,あっという間に居場所ができた次第です.

問題のバッジは,5月末に,ぎえるむ先生が直々に
書類を手渡して下さり,CNAM(所属組織)の本部に
送って下さった「はず」だったのですが...

実際は,あれから約6ヶ月,「今日こそ来るか,手渡されるか」
と毎日思いながら,その気配がなく,時間は過ぎていった.
秘書さんが来てそうな時間までは外で時間を潰し,
インターフォンで「Bonjour! C’est Naoto TANAKA…」
とドアを開けてもらう毎日.
これが,朝とお昼ご飯の後の二回.
最初の頃は,お昼の時間が読めなくて,1時間ぐらい
公園で本を読んでいたり,外に出づらいのでサンドイッチで
昼食を部屋で済ませたり,と.ほんと情けない.

先のバカンスシーズンには,
じらーるが,「バカンスの間はこれを使いなさい」と自分のバッジを
貸してくれ(これ,書いても大丈夫だよね?)9月までは
なんとか快適に過ごしたものの,また二ヶ月ほど「振り出しに戻る」的な.

一応,受付には管理人さんのような人がいて(これがまたいい人!)
インターフォンで誰もいない時なんかは,わざわざドアを開けて
くれるのだが,最初の二月ほどはよかったものの,さすがに9月には
「ちゃんとバッジもらった方がいいよ」と,
連絡先の電話番号まで教えてもらう始末.

電話をすればいいのでしょうが,これはほとんど不可能(語学的に)な状態で.
また,ぎえるむ先生やじらーるに言い出すのも,なんとなくきがひけ...
(研究所に何ら寄与できている訳でもなく,何となく不法滞在者のような)
時は過ぎていったのでした.

10月に復帰した第一秘書のそふぃあが,毎朝インターフォンが鳴るのが
気になったのか(他の人は気づかなかった?or気にしていない?)
状況を聞いてくれ(といっても,全てフランス語なので通じているかは定かではない)
第二秘書のまりかが,「来週の月曜日取りに行きましょ!」と言って
くれたので,月曜日待っていると,現れたのはそふぃあでした.
(後日,まりかが風邪を曳いたので,そふぃあに連絡してくれたことが分かりました
 ありがとう,まりか,そふぃあ)

「あー,なるほど」と思いながら,CNAMの本部に連れてって頂き,
受付横の事務室みたいなところで,写真をぱちりと撮って,
バッジがうぃーんと出てきました.所要時間15分.
極めてすむーずに事が運んだのですが,なんだか懐かしい気がしました.

思い返せば,渡仏後3ヶ月(バカンスシーズン)までは,
滞在許可証やらなんやかや生活関連に振り回されていて,
すむーずに事が運ぶことなんて,ほぼなかったので,
「これがフランス式」と言い聞かせていたのですが,
案外ほとんどのことが実際は簡単に済むので(注:紆余曲折の後)
その度に「なるほどねぇ」と妻と顔を見合わせていました.

cnam2.jpg
そして,これが僕が使わせて頂いている机と書棚です.
今は現実ですが,そのうち懐かしくなるのでしょうね.

Montpeyroux [フランス便り]

さて,いよいよフランス滞在が,
残り16週となりました.
まだ,4ヶ月あると言えば,あるのですが,
16週と聞くと,なんだか焦ってしまいます.

これまで訪れた街のなかで,ご紹介していない
とっておきを.

Montpeyroux (モンペルー)です.
初めてAuvergneに行った日に,最後に訪れた街です.

montpeyroux1.JPG

Allier川の対岸から見た時には,
Auvergneの広々とした風景の中に,融け込むように,
風化するかのように,塔がすっくと立っているのが
印象的でした.

街に入った時には,すでに陽も落ち,
夕闇が迫っていましたが,この街は確かに
生きているのでした.観光に特化した街なのですが,
ちゃんと人は住んでいます.
畑もあるし,花も飾ってある,そして夜になると
電灯も点き,どこからともなくいい臭いもしてくるのです.
 
montpeyroux2.JPG
  
Auvergneの大都市Clermont-Ferrandから車だと,
わずか30分ほど,観光を生業としている他に,
こういった周辺の都市に働きに出る人もあるそうです.
最近は,芸術家や起業家に,住居として
新規の人口の獲得施策を打っているそうです.

たくましいというか,当たり前のことなんですよね.
住む人がいないと街は滅びてしまいます.
産業とはそういうものなんですよね.
生業なんですから.

のちろん,ここAuvergneでも地域の基幹産業は農業です.
しかし,観光も産業なのです.
その担い手は,必ずしも観光に従事しているとは限りません.
どうやら,これは訪れる場所だけの問題ではありません.
訪れる主体の方にも仕掛けがあります.

仕掛けというか仕組みというか,文化ですね.
なぜ,人は街を訪れるのか?
フランスでは農村でも,街なのです.
ちゃんと,人が集って住んでいる場所は
街としてのアメニティを備えています.
矜持というのでしょうか.

かけがえのない街なのです.
しかも,誰でも住人になれば楽しめる.
フランスに厳密な意味で「村」はありません.
Parisでも,Montpeyrouxでも街なんだと思います.たぶん.

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